蓬莱の猫

好き勝手書くだけだよん

まずは自分が必要な情報を書きだしていこう

アウトプットの方向は文章でいいと思う。

絵は書いててもあんまり楽しくないし、続かない。

パソコンで文章書くのは結構続いてる。このブログも半年続いてるしね。

5月にGoogleAdsenseやはてなブログProを入れてニトロ入ったみたいに記事を量産して、6月にクールダウンしてまた距離感を保てるようになってきた…かな?

それにしても・・・って一文字で入れたいんだけど、…みたいに文字の下の方にちびっちゃく出るのはなんでだろう?メモ帳だとうまく入るんだけど、ブログだとなぜに真ん中に来ないのだろうか。地味に不満。

空想を立ち上げるほどの力はまだ出力が足りない。書いてるうちにイメージが途絶えちゃうし、書いてる文章にイメージがはまり込んじゃってごちゃごちゃとよくわかんなくなっちゃうんだよね。

ただまあ書ける文章の量は前よりも多くなってきた感じ?

小説とか気楽に文章を書けるくらいになったらやればいいかな。なれるでしょ、小説家!

空想になるけど、本とインターネットでの作品発表をしてみたいねえ。

幼女戦記みたいにインターネットでの好評が書籍化を呼ぶ…みたいなスタイルってなんか面白そう。たとえが幼女戦記なのはちょっとあれだけど。あそこまで好戦的にはなれない。

書くとしたら何かなー。文章力が足りないのをファンタジックなアイテムで誤魔化そうとするのは止めた方がいいよね。書けないところこそ書けるようになりたいところだと思うし。

ファンタジックなアイテムはオプションくらいの感覚で、何を書くかといえば主人公の心だよね。やっぱりキャラありきでしょ。これが世界観とかになっちゃうとSFなので完全にお手上げです。SFも面白いですけどね。矛盾探しされて叩かれるのは嫌だなあ。人間の理屈なんて全部「その人がそう思ってる」くらいのもので、あとは確信度がどの程度か、くらいだし。善も悪も個人的なものですよ。「みんなのもの」にすると狂気の幕が開きかねないので、内心の自由はやっぱりいいよね、と言っておく。個人の選択として集団に身を委ねるのはカモになりに行くようなものですよねえ。内面の自由さって人間にある素晴らしい力やん。たかが他人に受け渡していいものではないですよ。…とか言いながら結構他人に左右されがちなんですけどね、私。だからこそ極端に話を振って自分の感覚を補正してみるテストをしているところ。バランスのいいところで止めようとするより極端から極端に振って揺れ戻しを待った方が結局バランスがいいのです、ということをいつか発見したなあ。今思い出した。

今私が書いている文章は、今の自分が書くことを必要としていることがメインとなっております。優先度が高くてネットや人の間に転がっていない情報を自分で作ったり発見したり思い出したり。自分の内面を整えている時期なのです。ついでに文章力も鍛えられます。

自分の内面を整えきってないので、他人の内面まで想像がいきませんが、そのうちできるようになるでしょ。これだけぐるぐる思考を回せるんだし、一時期できていたからできるようになる…かなあ。まあできなくてもいいんだけど。面白い小説を書くときだけスイッチオンにして普段オフでいいですか?どうですか、心さん。

心のスイッチつけっぱなしはもったいない。やっぱり必要なスイッチ+αくらいで十分ですよ。その辺は無意識にやってもらった方がいいと思うので、顕在意識的にはあんま考えなくていいんじゃないかな。ほったらかしでできるようになるのがベスト。そのためにやることはほったらかし!楽でいいなあ。

さて、何書いていたんだっけ。何かいい文章書けたね。必要な文章って書き上げた時の感覚が違ってていい感じ。