蓬莱の猫

好き勝手書くだけだよん

悩む前に書いてしまえ

秋山瑞人・佐藤大輔・小松左京。

三大作家を自分なりに挙げるなら上の通り。

ただまあ昔熱中したんだけど、今何かの都合で読めなくなってるのが寂しい。体がフィクションで遊ぶよりも現実を見て覚えてよ!って言ってきてる感じ。体を通さないと何もできないのが現世ですからね。体さんの指示通りに現実を覚えるのです。

思えばフィクションに生きてきた人生ですからね。勉強というフィクション、読書というフィクション、ゲームというフィクション。作られた世界で頭の中を染めるようなことばかりやってきました。

かつてのようにフィクションに溺れる日は来るんですかね。あ、溺れちゃまずいか。フィクションの海を泳ぐんですね。

今できないからこれからもできないしこれまでもできなかったと考える癖があります。一時の気分に過ぎないものを想像力で膨らませちゃうのです。現在でしかないものを過去・未来へと展伸して、ブルーな気分で自分を染め上げるダメっぽいスキル。やめた方がいいからやめるべく認識を書き換えるのです。

やめたいことはただやめるのではなく、別の習慣で「上書き」する方が予後がいいとわかってきました。「やめる」だとその行為を意識してしまって心に残ってしまいますが、「行為Bをする」だと元々の習慣AをBという行為で完全に上書きできるのです。まあ習慣Aもなにがしかの必要があるから覚えた習慣なので、あとでふっとしたときに出てくることもありますが、一度習慣化を解除したものって、また来ても習慣にならずに流せるようになります。

こういうことを書いているとまるで心の機構を解きほぐしているかのよう。今の自分には心のケアが必要なのです。ないがしろにしていた心を大切にするべく、まずは心さんの動き方を知識化することが大事です。まあそういうことを考えるのも心さんなので、心自身が心を知る、とでも言いますか。人間が自分自身をあんまり知らないのと同様に、心もあんまり心のことを知らないのです。だから知るのが、大事。

人それぞれ心の構造は違う気がします。生まれてから、大人になるまでに作り上げた心は、いわば後天的なものですから、人それぞれ違うのでしょう。

Facebookが脳波で文字入力する技術を開発するそうですが、できるのかな。まずは英語が開発されそうです。英語と日本語だと脳の使う部分は違うのでしょうか。もっと言ってしまえば個人差があるのではないでしょうか。

脳の表面は計測しやすいので研究できるが、奥の方は測るのが難しく研究が進んでいないとも聞きました。奥の方が本能をつかさどってますから、上位構造ですよね。熱いものに触れたら意識がどうこうするまでもなく手を引っ込めますから、本能は意識よりも優先度が高いわけです。

そういえば人間は意識する前に脳は動き出してて、脳波が出てから少ししてから意識が動き出すらしいですね。意識って何でしょうね。よくわかりません。

吐き出す言葉が徐々に現実よりになってきたかな?アウトプットはやはり重要ですね。詰まったものを吐き出して、流れを通るようにするのです。中身は二の次三の次。吐き出すことに慣れましょう。それは本能的に快なものですから。書く前に悩むのではなく、とりあえず書いてしまう。それが文章のコツなのかもしれません。