蓬莱の猫

好き勝手書くだけだよん

嫌なこともいいことも、必要だから思い出すのです。

現在の調子が悪い時のことを書いておく。

人の声が妙に印象に残る

少し前までは人の顔がやけに不気味に見えてましたが、そちらは慣れたのか落ち着いてきました。

変わりなのか順番が回ってきたのか、次は「声」です。

若い人たちの笑い声とかおじいちゃんたちの世間話の笑い声とか、そうですね、笑い声がなんか気になってしまうんですね。

被害妄想じみたものであると思うのですが、はっきりと断定できるほど強く感じているわけではないです。なんとなく、自分と関係あるのではないか、と感じてしまう感じです。

つまりはどの声が自分と関係あるのか、よくわからなくなってしまっているのだと思います。というより今まで全部自分と無関係だ、で処理していたものを関係あるものとして順位付けし始めた感じです。初めてのことだから体がビックリしているのだと思います。

今の今まで人の声を自分と無関係なものとして処理していた自分に少し驚きですが、事実なのだからしょうがないですね。

今までだと話しかけられたらえ?私?え~と…みたいな思考をしているうちに相手があきれてしまうパターンばっかりでしたね。ただ、ややこしいのは自動的に処理してしまうこともあるんですよね。まったく意識していないと勝手に体が反応してやってしまっていることがあるのです。

ですので、問題が起こるのは声を聞いてそれが意識の俎上に出てきたとき、となります。無意識にコントロールしている部分なので、調整するために意識の方にやってきた感じです。ぶっちゃけ苦しいですが、苦しみを見つめて、問題を整理して、次からは~すると決定しているうちにだんだん慣れてきたリ、問題の解決策を見つけたりしていきます。苦しみの解決策を見出すわけですね。

ほったらかしにしていた苦しみの元を直視してさばいていくわけです。う~ん、苦しそうな作業だ。汚れている部分を洗っていくようなものです。汚れは汚れを見つめないとどうにもなりません。汚れていると自覚して初めて綺麗にしようとするわけです。

汚れは今まで溜め込んでた見ないことにしていた無意識の汚れです。普通に考えたら違うんだけど、どこかでそう思い込んでしまった間違いの源です。過去のどこかで自分を守るために作った壁を、必要がなくなったから解体しなくてはなりません。それは自分を守ってくれた大切な防御壁です。綺麗に片づけて、次に向かわなければいけません。

過去の嫌なことを思い出します。何度考えてもおかしいと思うこともあります。そういった抑圧していた怒りや恥といった負の感覚をとことん味わうのです。苦しいのは、苦しみが足りないから。苦しみきってないから、中途半端に逃げ出すから、余計苦しいのです。溺れ死ぬ覚悟が足りないのです。

苦しみはそれが苦しみでなくなるまで苦しみとして存在し続けます。思い出しても苦しくなくなって、まったく思い出さなくなって、たまに不意打ちで思い出しても平気になるまで、あり続けます。まるで自分を鍛えるためにわざわざ覚えていたように、です。

私はなぜ嫌なことを覚えているのか。楽しかったこともあるはずなのに、はっきり覚えているのは言葉にならなかった怒り。自分の感情に言葉をつけずにほったらかしにしていた記憶の数々。

どうにもならなくなって、誰もかもが忘れて、自分一人だけ思い出して、悶々とするわけです。自分以外には意味のない行為ですが、自分にとっては果てしなく意味があるのです。

必要があるから、起こった出来事を覚えているのです。必要のないことはたとえ身に降りかかっても記憶しないから、なかったことと同じことになっているのです。

嫌なこともいいことも、必要だから思い出すのです。

 

なんとなく書き綴ってしまいました。ブログ有料化の熱で普段考えもしないことを文章に起こせました。感情に火が灯っていると、書く内容まで変わってきます。